毎日・産経が半期赤字転落 「新聞の危機」いよいよ表面化
若干時機に後れた情報ですが、気になったので。
ネットが普及する中、確かに新聞のようなペーパーを媒介とするメディアって不利な時代になりましたよね。
ただ、だからといって新聞が歴史的役割を既に果たしたかと言われると、やはり疑問が残る。
これだけネットが普及し、情報が流通している(半ば溢れかえっている)にもかかわらず、それでもどこかで新聞、マスコミの情報に頼ろうとするのは、そこに紛れもなく「クレジット」が付与されているからではないか。
前にも日記で書いたが、結局クレジットの付されていない表現には大した価値はないのであって、人はまたそんな価値のないものを信用することもないのである。
「マスコミのいうことは間違っている!」、と思うのであれば、その表現をしたマスコミに対し事実、評価の誤りを指摘、確認することが可能であるし、その過程を経て初めて、人は真実に辿り「つこうとしている」といえるのではないか。
新聞がペーパーの形をとらなくなったとしても、それは時代の一つの「スタイル」として許容してもいいと思う。
しかし、責任主体の不明確な情報発信者による無責任な発言が横行するような情報提供の形が、決して健全なものであるとはいえないだろう。
まぁ…そうはいっても結局ネット上の情報の多くは新聞社が提供しているものなんだから、現実には新聞社、新聞が不要になるということはおよそ考えられないんでしょうけどね。でもペーパーについての単価は上がらざるをえないかも(--;)。
若干時機に後れた情報ですが、気になったので。
ネットが普及する中、確かに新聞のようなペーパーを媒介とするメディアって不利な時代になりましたよね。
ただ、だからといって新聞が歴史的役割を既に果たしたかと言われると、やはり疑問が残る。
これだけネットが普及し、情報が流通している(半ば溢れかえっている)にもかかわらず、それでもどこかで新聞、マスコミの情報に頼ろうとするのは、そこに紛れもなく「クレジット」が付与されているからではないか。
前にも日記で書いたが、結局クレジットの付されていない表現には大した価値はないのであって、人はまたそんな価値のないものを信用することもないのである。
「マスコミのいうことは間違っている!」、と思うのであれば、その表現をしたマスコミに対し事実、評価の誤りを指摘、確認することが可能であるし、その過程を経て初めて、人は真実に辿り「つこうとしている」といえるのではないか。
新聞がペーパーの形をとらなくなったとしても、それは時代の一つの「スタイル」として許容してもいいと思う。
しかし、責任主体の不明確な情報発信者による無責任な発言が横行するような情報提供の形が、決して健全なものであるとはいえないだろう。
まぁ…そうはいっても結局ネット上の情報の多くは新聞社が提供しているものなんだから、現実には新聞社、新聞が不要になるということはおよそ考えられないんでしょうけどね。でもペーパーについての単価は上がらざるをえないかも(--;)。
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